プロの役者がアニメを語る

ほんとにプロです。ほんとだよ?

【ネタバレ有】君たちはどう生きるかを見た

ただの感想です。

ネタバレもあります。

 

本日のレイトショーで君たちはどう生きるかを見た。思ったことが色々あって眠れないので、ここにしるしていこう。

まずはじめに、これだけは言わなくてはいけない。

「面白くて、本当によかった。」

はっきり言って期待値は半分くらいだった。というより、面白いといいなぁと思っていた。

ジブリの作品は大好きだし、自分の血肉になっている自覚はある。ほとんどの日本人はそうなんじゃないだろうか?

その自分の根幹にある作品たちをつくった監督が、スタジオが、多分本当に総力をあげて作ったであろう至極の今作をもし面白く思えなかったら、ああこの人はエゴでものをつくる人になってしまったのかと思ってしまったら、それはものすごく悲しいことだと、嫌だなと。だから、今作が面白くてよかった。

 

では、どこが面白かったんだろう?

その前に、自分は岡田斗司夫のアニメ解説が好きでよく見ていて、その中の言葉で、意訳すると「アニメーションは、実写と違い、画面の中のすべてのものに意味があるんだ。」というような話をしていてとても感銘を受けています僕は。という事を踏まえておいてください。

 

まず、主人公の眞人君が寝てるところからはじまって、空襲で火の手が上がる。それは母親の病院だ。見に行こうとするがもちろん母は助からない。

眞人君はこの時、家族からないがしろにされている印象を受ける。お兄ちゃん?ふたりには相手にされず、出ていくときもお手伝いさんに何も言われない。

だが、この後眞人父はたいそう眞人君を心配するしとても優しい。

なぜ?

多分お兄ちゃんふたりが戦争で死んだんだろうな〜と。だから過剰なまでの優しさを眞人は父から受ける。

 

次に、石で自分を殴るところ。

ここから眞人君はアオサギの声が聞こえはじめる。アオサギの中にはおっさんがいたのだ。

眞人君は、自分が頭から血を流して帰れば父が心配する事も、学校の誰かの仕業だろうと思う事もわかっていた。告げ口することなく、思い通りに事を運ぶために自分を殴った。これが悪意。

 

で、少しずつファンタジー世界に入っていくと。

ふわふわ?だっけあれがめちゃくちゃ可愛い。全ジブリの中でも1番なんじゃない?

とてもいいと思いました。

 

ファンタジー世界はとにかくいろんなメタファーらしきものがあって多分気がついたり気が付かなかったりしたんだけど、あんまりまあそこはいいやという感じ。それよりジブリの書く地に足ついたファンタジーはとても心地がよかったです。

 

で、メインテーマ。

若いやつが全然後を継いでくれない問題。

宮崎駿にとっての創作はどこかで孤独とのバランス調整だったんだなと感じた。

そして、その自分の時代が終わったと思ったんだろうなと。

でも自分の城ではそれは認められないから自分の外でやってくれ。それでも祝福はしてくれてる。女の子とのハグは祝福でしょう。

 

さて、見て見ぬふりをしてるのは産屋とインコの王様の立ち位置の問題。

インコは、俺たち観客であり、世間なんだろう。ただ食い散らかす。自分の世界の外に出ると何もできなくなる。

そして全てを台無しにする。

産屋こそがスタジオジブリで、守って欲しいとも思ってないのに、しゃしゃり出るインコたち。ああ。ほんとに。

 

こうやってブログ書いてるのも、広義で言えばしゃしゃり出てる行為だろうな。

 

なんかこういうメタファー的なことを一個も考えなくても、素晴らしいファンタジー作品で、個性豊かなキャラクターたちが出てくる、とても面白いアニメーションだったと締めてそろそろ寝よう。

アオサギ好きだったな。眞人の部分なんだろうと思うけど、アオサギの部分を認めてくれる人と付き合えよ。などと。

リコリスリコイルの最終話を予想する

※このブログはリコリスリコイルのネタバレを含みます。そしてリコリスリコイルを観てないと何もわかりません。

 

リコリスリコイル結構話題になってるなと思いつつ、なかなか見るタイミングがなく見ていなかったのですが、たまたま時間のある時にアマプラにあるのを見つけて一気見してしまいました。

 

いやー面白い!

たきなちゃんがかわいい。

たきなちゃんが天使。

あとふきもとてもいい。俺は好きだぜってみんな思ってると思う。

 

さて、一気見したとは言ったものの実は時間がなくて、最終話の一話前までしか見られてないんです。ですので、ここで最終話の展開を予想した後に最終話みようかなと思います。

 

初めに一話前までの展開を思い出します。

なんやかんやあってよしさんとの因縁にケリをつけ、真島も捕まえて、リコリスのこともな~んちゃってみたいな感じで大団円を迎えようとしたその時、延空木の上からエレベーターで下に降りようとしたちさとの目に落としたはずのカバンが映ります。(たきなからもらったキーホルダー付き!)あわててそれを取りに行くちさと。しかしそれを拾ったのは他でもない真島だったのです!

 

みたいなところで終わりました。

 

一つづつ観ていくと、まず最後のちさとの表情からカバンを拾いに行ったのはわざとだったことがうかがえます。つまり真島の襲撃を感知して、ほかの子を逃がすためにわざと罠にかかった的な事です。

 

真島の目的は?

まあ十中八九、延空木に爆弾をしかけていて、爆破するぞみたいな感じのことを言うと思います。アラン機関をどうにかするのを手伝えば爆破しないとかも言うかもしれません。

ちさとは、なんとなく死ぬ気でしょう。あれだけ走っちゃダメという伏線があってここまで全く元気溌剌なのはおかしいので、なんか戦っているうちに心臓がダメになっていくはずです。

そこで登場!われらがたきなちゃん!

倒れたちさとに代わって、真島をぶったおすことでしょう。

で、ちさとの犠牲でなんやかんや救われたね。っていう話になってたところ、多分くるみえもんがあの心臓つくってた博士に依頼してもう一個作らせていて、なんとかなる。

喫茶リコリコで看板娘しているたきなのところにちさとが「ただいま」って帰ってきてハッピーエンド。

 

こんな感じの予想を立ててみました。

 

今のままだとよしさんが嚙ませ犬キャラすぎるので、もう一度何かで出てくるとは思うのですが、どうしよかな?

あるとすれば予想の最後がくるみえもんじゃなくてよしさんの自殺かもしくはちさとを庇って死ぬかな?

あまりにもありがちすぎるか?

その場合は最終的に喫茶リコリコにあの秘書ちゃんが加わるまであるか。

 

まま、予想はこのくらいにして本編を観てみます。

 

 

名前が先か個性が先か【僕のヒーローアカデミア】

最近ヒロアカのアニメを見始めました。

ヒロアカ見たことある人なら一度は持つ疑問について考察していこうかと思います。

 

4歳くらいから個性発現するわりには名前と個性に関連性ありすぎじゃね?

 

って思いますよね?

ヒロアカはもう結構続いている作品なので、この疑問に関する公式見解が出ているかもしれませんが、そういうものを全く見ずに考えていきたいと思います。

 

それなりに長文になってしまったので、まとめ部分の最初を太字にしておきました。

前置きのいらない方はそちらからご覧下さい。

 

ではいきます。

 

まず1−Aの瀬呂範太君に関して考えてみます。もちろんこの瀬呂範太君は、瀬呂家に生を受けて父親と母親が色々考えた結果、範太という名前をつけられました。

その後範太君はすくすく成長し、4歳くらいで肘から透明っぽい粘着テープを出すという個性が発現するのです。

もし個性が遺伝によって発現するものならば、これは少し出来すぎのように感じます。偶然名前と関連のある個性が発現したのでしょうか?

もうひとり、1−Bに泡瀬ようせつ君という子がいます。個性は溶接です。

これはもう偶然とは言えません。名前と個性にはあきらかな繋がりがあるようです。

 

1−Aに爆豪勝己君という子がいます。爆豪勝己君は手のひらからかく汗が爆発する個性を持っています。そして、前述した蛙吹梅雨ちゃんは、蛙っぽいという個性。この二人の共通点は名前全体ではなく、名字から個性が発現している事です。

 

次に同じく1−Aの常闇踏陰君を例に考えます。常闇踏陰君は、頭が鳥になっているタイプの子です。

では個性は鳥化かというとそんな事はなく、人格のある喋る影を生み出すというものです。影は鳥の形をしている事が多いようですが、能力としては影の形は自由自在でデフォルトが鳥人間だから鳥の形をしているにすぎないと考えていいでしょう。

逆に考えれば、常闇君は鳥っぽくなるという個性と影を生み出す個性の両方を兼ね備えていると言えるでしょう。

2つの個性を持っていると言えば、轟焦凍君。炎の個性を持つ父親と氷の個性を持つ母親の間に生まれたので、炎と氷の両方を使える個性を持っています。

そこから考えるに、常闇君の親のうち片方は鳥っぽくなる個性を、もう片方は闇っぽい個性を持っていたと考えられます。

 

ここから考察出来ることは、個性の遺伝と名前の関係にはパターンがあるという事です。

①名字+名前が個性になっているパターン

②名字が個性のパターン

③親の両方の個性が遺伝しているパターン

④例外(無個性の主人公など)

 

なぜ轟君が半熱半冷という二つを含有した個性名なのに対し、常闇君は黒影(ダークシャドウ)といういかにも影のみが個性であるかのような名付けられ方なのでしょうか?

これは二人の名前を見ることでうかがい知る事が出来ます。(名前は親が子供にこうなって欲しいという願いを込めて付けたものという前提でお話します。)

轟君の名前は焦凍と言います。炎と氷の両方を使えるようにとの願いを込めて付けられた事が分かります。対して常闇君は踏陰という名前です。親のどちらか(おそらく結婚前の名字が、常闇では無いほう)が鳥の個性を持っているにも関わらず、鳥らしい痕跡は名前の中に見当たりません。推察するに鳥の個性を持っている方の親は鳥の個性を遺伝させたくなかったのだと考えられます。

4歳の子が個性を発現した時にはその個性を名付け、自治体に登録する必要があります。その個性の名付けは親がするのではないか?だとするならば、常闇君の個性の名前の中に鳥らしさが見受けられないのは、親が遺伝したことを認めたくなかったからだと考える事が出来ます。

 

だいぶ長くなってしまったのでここまででわかっている事をまとめます。

個性と名前に関する順番はこうなります。

個性の遺伝子を持って生まれる

名前をつけられる

個性発現

個性に名前がつく

 

この順番から推察出来るのは

「個性は、あらかじめ遺伝的に持って生まれた種を親からの期待や自分の希望(名前や育てられ方など)という水で育てた結果咲く、花のようなものだ。」

という事です。

具体的に言うと瀬呂範太君がもし蜘蛛田糸男という名前だったら、生まれもった遺伝子が一緒でも、スパイダーマンのように肘から糸が出る個性になっていたのではないか?ただ、どんな育てられ方をしても身体が巨大化するみたいな全く違う個性にはならないだろう。という考え方です。

なんとなく分かりますか?

そしてもし常闇君が育てられた親には期待されていない鳥化を、子どもの時から期待していたのだとしたら、複雑な家庭環境が伺えるような気がします。

 

さて、少し強引な理論になってしまった気もしますが、納得していただけたでしょうか?

ヒロアカに関しては熟読しているわけではないので、検討違いな事を言っているかもしれません。ご容赦下さい。

 

ではまた、なにか思いついたらブログ書きます。ここまで長文読んでいただきましてありがとうございます。

竜とそばかすの姫を語る【ネタバレあり】

 

竜とそばかすの姫を見ました。

ちょっと面白すぎたので、どこがどう面白かったのか文章にしてみたいと思います。

 

さて、ここから下はネタバレ祭りなので絶対に映画を観てから読んで下さいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい、それでははじめます。

とりあえずざっとあらすじを紹介すると、Uという世界中の人たちが集まるVR空間が日常にある。というおそらく少し未来のお話です。

主人公の鈴は、作曲し歌う事が好きな少女だったのですが、その作曲を教えてくれた母が赤の他人の女の子を助ける為に命を落とします。その事件の後から、鈴は歌う事が出来なくなってしまうのです。

鬱屈した毎日を送っていた鈴のもとに友達の毒舌めがねっ子からUの招待URLが届きます。Uでは新しい自分(As)をつくり出すことが出来ます。ベルというAsを手に入れ、Uの世界に入ったら鈴はベルの姿であれば、自然と歌う事が出来るようになっていました。

ベルの歌はまたたく間に話題となり、世界中の人気者になっていきました。

ベルの数億人規模の大コンサートの最中に竜と自警団が乱入してきます。

Uの秩序を守ると自称する自警団を次々とボコボコにしていく竜という名前のAs。そのAsには背中に大きなあざがありました。

そのあざがそして竜の事が気になり正体を探す鈴(ベル)は、ひょんな事から謎の存在に導かれ竜の住処を探しあてます。

粗暴で孤独な竜に惹かれていくベル。竜もまたベルの美しい歌声に心をひらいていきます。

一方その頃現実世界では、しのぶという幼馴染の男の子と鈴が付き合っているのではないかとの噂が広がります。しのぶはイケメンで女子にファンが多くあわや女子の中で戦争になるかと思われましたが、なんとか鎮火。しかし、鈴は封印していたしのぶへの恋心を思い出していきます。

Uの世界では、竜を見つけ出して正体を暴いて(アンベイルして)やろうと世界中の人たちが執拗に追いかけ回します。竜の住処から出て来た所を自警団に見られたベルは、自警団に追い詰められ2度竜に助けられます。

ベルの痕跡から竜の住処を見つけ出した自警団はそこを焼き尽くします。命からがら逃げ出した竜。それを見たベル(鈴)は竜を助けるために、その正体を必死に探します。

とあるライブ配信で、竜とベルしか知らないはずの歌を口ずさむ少年を見つけた鈴。そこに写っていたのは、二人の兄弟とそれを虐待する父親の姿でした。兄のけいが竜の正体であると見抜いた鈴は連絡をとりますが、鈴がベルである事が信じられないとすげなく連絡を切られてしまいます。

鈴がベルである事を証明するため、鈴はUの世界で鈴のまま歌い出します。

鈴が鈴のまま歌った歌は人々の心を掴みます。けいとその弟ともの信用を得、住所を聞こうとした矢先、父親がライブ配信に気が付きライブ配信を止めてしまいます。けいとともの家が、東京にある事を突き止めた鈴は高知から単身東京へと乗り込みます。

家から逃げ出してきたけいとともと出会った鈴は追ってきた父親から二人を守ります。

そうして高知に帰ってきた鈴は、仲間たちの中で歌を歌うのでした。

めでたしめでたし。

というお話でした。なかなかの文章量になってしまいましたね。これでも書ききれていないところも多々あるのですが...

補足で説明すると、けいくんは中2でともくんはそれより2つくらい下かな?という印象です。明示はされていませんが、ともくんは知恵おくれ(という言い方は正しくないかもしれませんが)系の障害を持っているようです。

Uでベルが一番最初に歌ったときに、Uに鈴を誘った毒舌めがねっ子を差し置いて、一番にフォロワーとなったのが、このともくんのAsでした。ともくんはベルを竜のところに度々誘導していました。

 

なんとなく、お話しの前提条件は掴めてきたでしょうか?

それでは、「なぜ鈴は歌えるようになったのか?」を中心に竜とそばかすの姫を語っていきたいと思います。

 

そもそも、なぜ鈴は現実世界で歌えないのか?それは母親が亡くなった事が大きな原因です。母親が見ず知らずの他人を助けて死んでしまったことで鈴は自分は母親にとって必要ではなかったと思うようになってしまいます。そしてやがてその思いは肥大していき、自分はこの世界に必要無いと思うようにすらなってしまいます。つまり、母親との1番の思い出である歌を歌えないのは、母親の死に納得のいかないままだからだと考えられます。

ということは、鈴が歌えるようになったのは母親の死に納得がいったからだと考える事が出来るでしょう。

鈴が何かを「助ける」行為に至るまでには順番がありました。

まずは「助けられる」を経験する事。毒舌めがねっ子からUを紹介された事でVR空間ではあるものの、歌を歌う事が出来るようになりました。また、毒舌めがねっ子のマネージメントもあり、沢山の人に自分の歌を届けるという体験をしました。ここで鈴は毒舌めがねっ子の親友に助けられたのです。

次に「心配する」の行程です。沢山の自警団に追われながらコンサートに乱入してきた竜を、鈴は最初から心配そうに見つめます。これは日本人的価値観で判官贔屓的な所が大きいように思えます。無勢であり逃げていたからこそ、鈴は竜を心配する事ができた訳です。

その次は「自分を犠牲にする」です。これは鈴の勘違いだった訳ですが、自分の恋心を犠牲にして、マドンナの恋を応援しようとした訳です。

そして最後に「生きる寄辺だったAsも犠牲にして」けいくんとともくんを助ける訳ですが、つまり鈴は無意識のうちに自分を置いて川へ飛び込み亡くなった母親の思いを追体験しているのです。

 

幼少期、母親が川へ飛び込んだ後母親を追って川へ入ろうとする鈴を止めた人物がいます。幼馴染のしのぶです。しのぶは抜け殻のようになった鈴をずっと心配していました。そんなしのぶに突き刺さった言葉があります。けいくんの鈴を拒絶するシーン「助ける助ける〜」のくだりです。鈴が回復する日まで見守るスタンスだったしのぶは、毒舌めがねっ子がUを紹介しUの中で自分を取り戻していく鈴を外から見る立場でした。しかしけいの言葉を聞き、ただ見守ったり優しい言葉をかけるだけでは、何もしていないのと変わらないのだと気がつきました。それでその後急にスパルタ的な事を言い出すのです。

毒舌めがねっ子ちゃんはアホほどいい子です。多分鈴の事めっちゃ好き。

この映画ほぼ唯一の悪役と言っていいジャスティス君について考えてみましょう。Asは抑圧された思いが具現化するように出来ています。ベルがマドンナ似で目がディズニーだったのは、鈴が強くそうなりたいと思っていたからで、そばかすがそのままだったのは、それでもやっぱり自分のままでいたいと思ったから。竜が強いアバターなのはけいくんが強くありたいと願ったから、あざが増えていくのは、誰かにこの痛みを知ってほしいと思ったから。であるならば、ジャスティス君は正義がまかり通らないところで虐げられながら生きているのではないでしょうか?日本で言えばいじめられてるとか。正体を暴く道具も逆説的に、自分の正体を誰にも知られたくない証拠だと言えるかもしれません。

さて、そろそろまとめに入ります。

「なぜ鈴は歌を歌えるようになったのか?」それは、母親の思いを追体験する事で、その死に意味を見つけ出す事が出来たから。

では、この作品のテーマはいったい何だったのか?

まず上がるのは、人を助ける事の無償性でしょう。人を助ける事は、自分の責任の範疇であり、見返りを求めるものではない。ということです。

そして、現実世界が結局大事なんじゃないの?みたいな事も含まれていたかと思います。

まあ、正直他にも色々解釈はあると思います。

 

最後に今後の期待を書き記して、締めにしようかと思います。

しのぶとけいどっちが鈴とくっつくのかはたまた毒舌めがねっ子が、いやマドンナもカヌー男から鈴に乗り換えるか、現実世界はまだまだ大変そうなので想像だけで飯が食べられそうですね。

また、Uの世界はまだまだ奥深さがありそうなので、ぜひUシリーズを監督には作っていただきたいです。Uのディズニーシリーズでシンデレラとか面白いのではないでしょうか?

 

さて、いかがだったでしょうか?

ここの意味がわからんとか、ここは違うだろみたいなご意見があれば、ぜひコメントをお寄せください。

結構な長文をここまで読んでいただきましてありがとうございます。

また何かを語りたくなったらこのブログを使いますのでお楽しみに!